眠レル蛙亭日記

2019.2.11 はてなダイアリーから移行しました。

ゲド戦記

なかなか皆の予定が合わ遅くなったのですが、府中に用事があったついでに、バルト11で見てきました。家族連れやカップルで場内は7〜8割の入りくらいだったかな。
上映が終わった後の場内は、夏休みファミリー向け映画が終わったとは思えない白けた雰囲気が漂っておりました。


原作を知らない連れの感想は、「なんだか駄作だな。『ナウシカ』や『もののけ』で見たような場面があるし、絵が荒い」
お子様の感想「魔法使いの最期が『のび太太陽王伝説』みたい」
私、「ゲドがラマ?に乗って走ってるのが、『二つの塔』のガンダルフと(ry」


宮崎吾朗氏がそのブログで、テナーとテルーを書き間違えた時から…あるいは手嶌葵を女神扱いした時から、原作厨としてあまり内容には期待してなかったのですが、ジブリ映画として観る者を楽しませてくれると期待をしていました。
実際には、それもなかったですね。宮崎父の作品にあるサービス精神がないというか…。細部まで動いてる背景とか、おいしそうな食事、ちょっと惹きつけるキャラクターとかが。
人物が会話しながら歩いてる場面が多くて退屈。しかも話す内容が、「命」や「心の闇」などと陳腐な言葉が多い。
ウサギとか、近所のおばちゃん2人組は、観客を笑わせるつもりかもしれないが、嫌悪感しかなかったです。あれでどこか憎めない人物を描いたつもりなのかな?
評判のいい手嶌葵の歌は長すぎで退屈。でも、この場面の絵に一番力を入れていました。


宮崎吾朗氏または鈴木P氏にとって、原作「ゲド戦記」でなければならなかった必然性はなかったような気がします。欲しかったのはネームバリュー。そこに、昨今の少年犯罪問題や偉大な父を持った吾朗氏のコンプレックスを注入して、一つアニメを作ってみました的な作品でした。。ほんとうにありがとうございました。


良かった探し。
「はてみ丸」が見られたこと。ゲドが食事の後に食器を洗ったところ。



原作者の提案が実現されてたら、みんな幸せになれただろうに、残念です。
ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメントの一部

私は、ストーリーやキャラクターを激しく変えてしまう愚行を警戒して―この本は日本もその他の国も含め、多くの読者に知られているので―私は宮崎氏に、最初の2冊の間の10〜15年くらいの期間を使っては、と提案しました。私たちは、その頃ゲドがどうしていたのか、大賢人になったということ以外には知りません、宮崎さんはいくらでも好きなように作っていいですよ、と。(私は彼の他の誰にも、こんな提案はしていません。)
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse


(原文)
I urged the unwisdom of radical changes to the story or the characters, since the books are so well known to so many readers, in Japan as elsewhere. In order to have the freedom of imagination he ought to have in making his film, I suggested that Mr Miyazaki might use the period of ten or fifteen years between the first two books: we don't know what Ged was doing in those years, aside from becoming Archmage, and Mr Miyazaki could have him doing anything he liked. (There is no other film maker to whom I would make such a proposition.)
http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html